前田利昌
Risyo Maeda


色の調和


    人の好みというものは千差万別で、いまさら言うまでもないことですが、それでもなおつくづく感心することがあります。あるときデザイン事務所を主宰している大学の先輩が、私の服装を見て「その趣味はなんというか、いいんだけど、うーん、いまいちなんだよなー」と言い、その煮え切らない言い方の中に、まだまだ君は駄目だなと言っているようでした。私たちはその時ちょうど旅の途中で、私は上着、ズボン、靴、靴下まで茶系でまとめており、上着からのぞくシャツも精一杯粋に徹したつもりでした。
一方そう言う先輩の服装はというと、黒いズボンに白の上着というツートンカラー。ズボンの方は日によって上着と同じ白に変わることもありました。そして靴が白だったか、靴下が白だったか細かいところまではあまり覚えていませんが、いずれにしてもその取り合わせは、当時の私の感覚では微妙なところがずれているように感じられ、いくら教授されても自分では絶対まねできないと思いました。そして、心では「好き好きですから」とつぶやきながら、「はー、そうですか」と言うしかありませんでした。
    つぎはキャンバス上の話です。絵を習いたてのころは「色の調和」を大事にしなさいとよくいわれます。この色は「画面から飛んでいる」「浮いている」とか「もっと抑えて」、あるいは「ヴァルールがおかしい」などというのはすべて色の調和に関わることで、基本的には調和を乱さないように、特定の色が「飛ばないように抑えて」画面全体をまとめなければいけませんよと教えています。色の調和に関しては、多くの教則本が、絵の構成要素のうち、最も大切なものの一つとして必ず取り上げています。けれども色の調和とはそんなに難しいことでしょうか。問題を起こしたくなければ色数を極端に少なくすればよいですし、同じような色合いでまとめればよいのです。調和は意外と簡単に得られそうですが、絵の場合はそんなに簡単にことがすみそうにありません。前例とは異なり、この色は「美しい」「よく響いている」などという時、それも調和の上に成り立つ表現です。
例えば統一された緑系の色合いのなかに「鮮やかな黄緑が美しく、よく響いている」という時も、土台に調和のとれた色面があるから成り立つことで、さまざまな色が主調しあい、喧嘩しあう土台においては、何を持ってきても不協和音の増幅に貢献するだけです。
結論を言いますと、色の調和というものは明度や彩度の違いによって、いくとおりもの調和が考えられます。そうした色合いのなかで、どれだけ異なる色合いを置いて共鳴させられるかということです。色を扱う上でこれこそ醍醐味です。調和を壊さぬように、色同士を可能な限り響かせ、人の心に強く届けばこれほど幸せなことはありません。また色は単独ではどうにもなりませんから、相手の色も同様に強くすることもあるでしょうし、時には意識的に不況和音を奏でたりもします。
    冒頭に戻って、先輩の話のつづきがありました。先輩は私の服装の批評をした後一呼吸おいてから、「色を合わせればいいってもんではないんだよ」と言うのです。そう言われて当時の私はすぐには承服しかねていましたが、やはり「はあ」としかいいようがありませんでした。(『ステップアップ油絵』より)